北京で2種目連覇を目指す北島
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【7月9日 AFP】2004年に開催されたアテネ五輪の競泳男子100メートル平泳ぎと同種目の200メートルで金メダルを獲得した日本の北島康介(Kosuke Kitajima)は、挑戦者としての立場を好んでいるが、2種目で連覇を目指す北京五輪では優勝候補としての役割を担わなければならない。
2種目で金メダルを獲得した4年前のアテネ五輪で北島は挑戦者だった。
アテネ五輪の1か月前に米国のブレンダン・ハンセン(Brendan Hansen)は北島の持っていた両種目の世界記録を更新し、北島の意欲に火をつけた、その結果アテネ五輪でハンセンは100メートルでは銀メダルに、200メートルでは銅メダルに甘んじた。しかし、北京五輪の開幕を前に状況は大きく変わった。
北京五輪の開幕を2か月後に控えた6月のジャパン・オープン2008(Japan Open 2008)で北島は、英水着メーカーのスピード(SPEEDO)社が開発した最新の競泳用水着「レーザー・レーサー(LZR Racer)」を初めて着用し、2分07秒51を記録しハンセンの持つ世界記録を0.99秒更新した。
その1か月後にハンセンは、北京五輪の米国代表選考会(2008 U.S. Olympic Team Trials - Swimming)で100メートルでは五輪出場を決めたが、200メートルでは出場を逃した。
ハンセンもレーザー・レーサーを着用し選考会に出場したが、明らかにナーバスになっており、ハンセンは両種目とも最後のターンで失速し世界記録に近づくことができなかった。ハンセンのパフォーマンスに関して北島は「本番(五輪)まで1か月という段階で、彼は目標を定めているようにも、チャレンジを掲げているようにも見えなかった。今は自分がやるべきことをするだけ」とコメントしている。
同選考会の200メートル決勝でハンセンは、共に練習パートナーのスコット・スパン(Scott Spann)とエリック・シャントゥー(Eric Shanteau)に代表の座を奪われているが「とても辛いことだが、両選手には彼に勝つために必要なことを示すつもりです」と明確に北島について言及している。
東京都内の精肉店の息子である25歳の北島は、今でも自身は挑戦する立場であると感じている。
共に出場したレースでは2005年からハンセンに勝利していない北島に対し、8月で27歳になるハンセンは世界記録を更新し続けていたが、6月にハンセンの世界記録を更新した北島は「泣きそうです。挑戦者のように戦うつもり。金メダルのことしか頭にはない。(金メダルが)取れなかったら帰らない」と語っている。
2000年シドニー五輪の100メートルで当時日本人最高の4位に入った北島は、2002年のパンパシフィック水泳選手権(Pan Pacific Swimming Championships)で100メートルを制して世界クラスでの優勝を果たすと、同年のアジア競技大会(The Asian Games)の200メートルでは2分09秒97を記録し初めて世界記録を更新した。
2003年にも北島は世界記録を更新した。そして、ハンセンもまた2004年の代表選考会で北島の記録を破ると、2006年には2度も世界記録を更新している。
2007年の第12回世界水泳選手権(12th World Swimming Championships)の100メートルでハンセンは北島を抑え優勝したが、ウイルス感染のためハンセンが棄権を余儀なくされた同大会の200メートルでは北島が優勝を飾っている。
身長177センチ、体重72キロと比較的小柄な北島は、ハンセンの力強い泳ぎとは対照的に効率的な泳法で知られている。
強靭(きょうじん)な肉体を築き上げた北島は今年、キックに合わせてストロークの長さを1.5倍にしており、平井伯昌(Norimasa Hirai)コーチは北島の泳ぎを「4WD(四輪駆動)泳法」と呼んでいる。
北島がジャパン・オープンで世界記録を更新したことにより、日本水泳連盟(Japan Swimming Federation)は着用契約を結ぶ国内メーカーの水着だけではなく、出場選手に北京五輪でのレーザー・レーサーの着用を認めた。
ジャパン・オープンで世界記録と契約上の障壁を破る前に着ていた北島のTシャツにプリントされていた「泳ぐのは僕だ」という手厳しいメッセージは、競い合うのはボディースーツではないということを間違いなく意味している。(c)AFP/Shigemi Sato
2種目で金メダルを獲得した4年前のアテネ五輪で北島は挑戦者だった。
アテネ五輪の1か月前に米国のブレンダン・ハンセン(Brendan Hansen)は北島の持っていた両種目の世界記録を更新し、北島の意欲に火をつけた、その結果アテネ五輪でハンセンは100メートルでは銀メダルに、200メートルでは銅メダルに甘んじた。しかし、北京五輪の開幕を前に状況は大きく変わった。
北京五輪の開幕を2か月後に控えた6月のジャパン・オープン2008(Japan Open 2008)で北島は、英水着メーカーのスピード(SPEEDO)社が開発した最新の競泳用水着「レーザー・レーサー(LZR Racer)」を初めて着用し、2分07秒51を記録しハンセンの持つ世界記録を0.99秒更新した。
その1か月後にハンセンは、北京五輪の米国代表選考会(2008 U.S. Olympic Team Trials - Swimming)で100メートルでは五輪出場を決めたが、200メートルでは出場を逃した。
ハンセンもレーザー・レーサーを着用し選考会に出場したが、明らかにナーバスになっており、ハンセンは両種目とも最後のターンで失速し世界記録に近づくことができなかった。ハンセンのパフォーマンスに関して北島は「本番(五輪)まで1か月という段階で、彼は目標を定めているようにも、チャレンジを掲げているようにも見えなかった。今は自分がやるべきことをするだけ」とコメントしている。
同選考会の200メートル決勝でハンセンは、共に練習パートナーのスコット・スパン(Scott Spann)とエリック・シャントゥー(Eric Shanteau)に代表の座を奪われているが「とても辛いことだが、両選手には彼に勝つために必要なことを示すつもりです」と明確に北島について言及している。
東京都内の精肉店の息子である25歳の北島は、今でも自身は挑戦する立場であると感じている。
共に出場したレースでは2005年からハンセンに勝利していない北島に対し、8月で27歳になるハンセンは世界記録を更新し続けていたが、6月にハンセンの世界記録を更新した北島は「泣きそうです。挑戦者のように戦うつもり。金メダルのことしか頭にはない。(金メダルが)取れなかったら帰らない」と語っている。
2000年シドニー五輪の100メートルで当時日本人最高の4位に入った北島は、2002年のパンパシフィック水泳選手権(Pan Pacific Swimming Championships)で100メートルを制して世界クラスでの優勝を果たすと、同年のアジア競技大会(The Asian Games)の200メートルでは2分09秒97を記録し初めて世界記録を更新した。
2003年にも北島は世界記録を更新した。そして、ハンセンもまた2004年の代表選考会で北島の記録を破ると、2006年には2度も世界記録を更新している。
2007年の第12回世界水泳選手権(12th World Swimming Championships)の100メートルでハンセンは北島を抑え優勝したが、ウイルス感染のためハンセンが棄権を余儀なくされた同大会の200メートルでは北島が優勝を飾っている。
身長177センチ、体重72キロと比較的小柄な北島は、ハンセンの力強い泳ぎとは対照的に効率的な泳法で知られている。
強靭(きょうじん)な肉体を築き上げた北島は今年、キックに合わせてストロークの長さを1.5倍にしており、平井伯昌(Norimasa Hirai)コーチは北島の泳ぎを「4WD(四輪駆動)泳法」と呼んでいる。
北島がジャパン・オープンで世界記録を更新したことにより、日本水泳連盟(Japan Swimming Federation)は着用契約を結ぶ国内メーカーの水着だけではなく、出場選手に北京五輪でのレーザー・レーサーの着用を認めた。
ジャパン・オープンで世界記録と契約上の障壁を破る前に着ていた北島のTシャツにプリントされていた「泳ぐのは僕だ」という手厳しいメッセージは、競い合うのはボディースーツではないということを間違いなく意味している。(c)AFP/Shigemi Sato