<MODE PRESS特別講義>ファッションに未来はあるか?第6回(最終回)「日本ファッションの未来性について」
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【2月7日 MODE PRESS】ビッグブランドに、はるかな未来はない。大量生産のファストファッションも右に同じ。だとすれば、残ったのは日本ファッションしかない。だが、その日本ファッションに未来があるのか? その答えをまず結論的にいえば、「可能性がなくはない」といったところだろう。
■日本ファッションの3つの特色
まるで肩すかしをしたみたいだが、答えが微妙なのには訳けがある。日本のファッションには、確かに欧米とは異なる特色がある。だが、未来への可能性につながるその特色の多くはもうすでに消費されてしまっている。残った部分がどれくらいあるのかは、見方によるからだ。
日本ファッションの特色は、おおむね①独自の身体観②高い素材技術③ストリートファッション、の3 点に大別できる。
これを西欧との比較でいえば、まず①の身体観は、特定の理想体形を考えずに平面の布を体に添わせるような服作り。②の素材技術は、服作りが素材と結びついていること。日本にはそのための伝統技術をもった産地と高いハイテク技術がある。そして③のストリートファッションは、疑いなく世界でもダントツで、これは実は少なくとも安土桃山時代の和服のころからもそうだったらしいことだ。
東京都現代美術館で去年開かれた「FUTURE BEAUTY 日本ファッションの未来性」展は、こうした日本ファッションの特色を的確にまとめた見ごたえのある内容だった。展示された作品は主に1980年代以後から最新の若手まで。分かってしまえばまあ当たり前なのだが、日本的な特徴に連続性があることに焦点が置かれていた。だが、この展示による「連続性」には、それが肝心なはずの「未来」へのつながりが感じ取れなかった。なぜか?
その理由は、個々の作品と時代・社会状況との関係への視点が欠けているからだ。一つの作品が生まれたのはどんな社会的背景があったのか、それがなぜ広く支持されたのか。そして、一見おなじような作品やスタイルが、年を経た後でもなぜ支持されるのか。時代を超えて支持を集めた要素とは具体的にどんなものだったのか? そうした問いが欠けていたからだ。
ついでにもう一つ言えば、こうした「日本ファッション」が、世界のファッションと横の関係でどうつながっていたか?との視点も十分なものではなかった。たとえば、1980年代にコムデギャルソンやワイズが当時の西欧ファッションに与えた衝撃が大きかったことは確かなのだが、それは別に西と東の突然の出会いだったというわけではないのだ。
■日本の未来を切り開くキーワードとは
近代の世界のファッションシステムの中では、すでに19世紀のころから日本ファッションは「ジャポニスム」という形で、さまざまな仕方で影響を及ぼしてきた。1980年代の前にも高田賢三や森英恵、三宅一生らが衝撃を与えたのも、その流れの中でのことだった。ただし、こうしたジャポニスムの衝撃は、パリを中核としたファッションシステムの中では、あくまでも「周縁」としての位置でしかなかった。
「御三家」といわれる三宅一生、川久保玲、山本耀司は、パリの正統ファッションに前衛派として渡り合った。その結果、パリ・ファッションは初めて他のデザイン分野と並ぶモダンデザインになったといってもよい。それによってパリやミラノの老舗ブランドは、世界で大量に売れるビッグブランドになった。そんな〝功績〟にもかかわらず、日本ファッションは80年代以後も相変わらず「周縁」とみなされてきた。
90年代になっても、パリやミラノのコレクションでの日本人席の位置やバックステージでの日本人への対応で感じたのは、その固定観念のような周縁としての位置づけだった。しかしこのことを恨みに思う必要はない。むしろこの周縁であることこそが、日本ファッションの最大の特徴で未来につながる可能性があると思えるからだ。
ファッションに限らず、システムには必ず中核と周縁がある。そしてそのシステムは中核と周縁の関わりの度合いによって進歩したり衰退したりする。たいていのシステムは、周縁の方が中核からの圧迫で衰退するとシステム全体が衰退または滅ぶ、というのが一般的通則なのだ。これは逆にいえば、周縁が活発化して中核を圧迫するとシステム全体が活発になるか、または周縁が中核となった新しいシステムが生まれるという結果になる。
では周縁としての日本ファッションが、具体的にどんな形で未来を切り開く可能性を持てるのか。その大きなヒントは、完成されたエレガンスがキモな西欧ファッションと比べて、日本のファッションが(御三家も含めて)未完成、未成熟な印象を与えることだ。この講義シリーズは今回で終わりで字数もつきてしまったので、それが意味することについてはまた別の機会に譲ることとしたい。【上間常正】
プロフィール:
1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として 海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリスト としても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。
(c)MODE PRESS
【関連情報】
<MODE PRESS特別講義>ファッションに未来はあるか?
第1回「ロンドン五輪閉会式で感じた、ファッションの終わりの予感」
第2回「ファッションで未来を考えること、そして日本ファッションの可能性とは?」
第3回「グローバル化の中で、廃棄物と低賃金を大量に生み出すファッションの現場」
第4回「高級ブランドの現状と自己矛盾:先進国ではもう頭打ち、矛盾を幾重にも抱えた高級ブランド」
第5回「矛盾をはらんだ高級ブランドの未来、そしてファッションの未来は?」
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■日本ファッションの3つの特色
まるで肩すかしをしたみたいだが、答えが微妙なのには訳けがある。日本のファッションには、確かに欧米とは異なる特色がある。だが、未来への可能性につながるその特色の多くはもうすでに消費されてしまっている。残った部分がどれくらいあるのかは、見方によるからだ。
日本ファッションの特色は、おおむね①独自の身体観②高い素材技術③ストリートファッション、の3 点に大別できる。
これを西欧との比較でいえば、まず①の身体観は、特定の理想体形を考えずに平面の布を体に添わせるような服作り。②の素材技術は、服作りが素材と結びついていること。日本にはそのための伝統技術をもった産地と高いハイテク技術がある。そして③のストリートファッションは、疑いなく世界でもダントツで、これは実は少なくとも安土桃山時代の和服のころからもそうだったらしいことだ。
東京都現代美術館で去年開かれた「FUTURE BEAUTY 日本ファッションの未来性」展は、こうした日本ファッションの特色を的確にまとめた見ごたえのある内容だった。展示された作品は主に1980年代以後から最新の若手まで。分かってしまえばまあ当たり前なのだが、日本的な特徴に連続性があることに焦点が置かれていた。だが、この展示による「連続性」には、それが肝心なはずの「未来」へのつながりが感じ取れなかった。なぜか?
その理由は、個々の作品と時代・社会状況との関係への視点が欠けているからだ。一つの作品が生まれたのはどんな社会的背景があったのか、それがなぜ広く支持されたのか。そして、一見おなじような作品やスタイルが、年を経た後でもなぜ支持されるのか。時代を超えて支持を集めた要素とは具体的にどんなものだったのか? そうした問いが欠けていたからだ。
ついでにもう一つ言えば、こうした「日本ファッション」が、世界のファッションと横の関係でどうつながっていたか?との視点も十分なものではなかった。たとえば、1980年代にコムデギャルソンやワイズが当時の西欧ファッションに与えた衝撃が大きかったことは確かなのだが、それは別に西と東の突然の出会いだったというわけではないのだ。
■日本の未来を切り開くキーワードとは
近代の世界のファッションシステムの中では、すでに19世紀のころから日本ファッションは「ジャポニスム」という形で、さまざまな仕方で影響を及ぼしてきた。1980年代の前にも高田賢三や森英恵、三宅一生らが衝撃を与えたのも、その流れの中でのことだった。ただし、こうしたジャポニスムの衝撃は、パリを中核としたファッションシステムの中では、あくまでも「周縁」としての位置でしかなかった。
「御三家」といわれる三宅一生、川久保玲、山本耀司は、パリの正統ファッションに前衛派として渡り合った。その結果、パリ・ファッションは初めて他のデザイン分野と並ぶモダンデザインになったといってもよい。それによってパリやミラノの老舗ブランドは、世界で大量に売れるビッグブランドになった。そんな〝功績〟にもかかわらず、日本ファッションは80年代以後も相変わらず「周縁」とみなされてきた。
90年代になっても、パリやミラノのコレクションでの日本人席の位置やバックステージでの日本人への対応で感じたのは、その固定観念のような周縁としての位置づけだった。しかしこのことを恨みに思う必要はない。むしろこの周縁であることこそが、日本ファッションの最大の特徴で未来につながる可能性があると思えるからだ。
ファッションに限らず、システムには必ず中核と周縁がある。そしてそのシステムは中核と周縁の関わりの度合いによって進歩したり衰退したりする。たいていのシステムは、周縁の方が中核からの圧迫で衰退するとシステム全体が衰退または滅ぶ、というのが一般的通則なのだ。これは逆にいえば、周縁が活発化して中核を圧迫するとシステム全体が活発になるか、または周縁が中核となった新しいシステムが生まれるという結果になる。
では周縁としての日本ファッションが、具体的にどんな形で未来を切り開く可能性を持てるのか。その大きなヒントは、完成されたエレガンスがキモな西欧ファッションと比べて、日本のファッションが(御三家も含めて)未完成、未成熟な印象を与えることだ。この講義シリーズは今回で終わりで字数もつきてしまったので、それが意味することについてはまた別の機会に譲ることとしたい。【上間常正】
プロフィール:
1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として 海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリスト としても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。
(c)MODE PRESS
【関連情報】
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第1回「ロンドン五輪閉会式で感じた、ファッションの終わりの予感」
第2回「ファッションで未来を考えること、そして日本ファッションの可能性とは?」
第3回「グローバル化の中で、廃棄物と低賃金を大量に生み出すファッションの現場」
第4回「高級ブランドの現状と自己矛盾:先進国ではもう頭打ち、矛盾を幾重にも抱えた高級ブランド」
第5回「矛盾をはらんだ高級ブランドの未来、そしてファッションの未来は?」