コービー・ブライアント氏死去、輝かしいキャリアでカギとなった5つの出来事
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【1月27日 AFP】米プロバスケットボール(NBA)、ロサンゼルス・レイカーズ(Los Angeles Lakers)の元スーパースター、コービー・ブライアント(Kobe Bryant)氏が26日、米ロサンゼルス郊外で発生したヘリコプター墜落事故で死亡した。
高校を卒業してすぐにプロ入りを果たしたブライアント氏は、2015-16シーズンに現役を引退するまでに5度のNBA王者に輝き、米国代表としても2008年の北京五輪、2016年のロンドン五輪で金メダルを獲得した。2016年に行われた現役最後の試合では60得点を挙げる活躍をみせ、NBAでの輝かしい20年のキャリアに幕を引いた。
ここでは、レイカーズ一筋で20年間を過ごしたブライアントのキャリアの中で、カギとなった5つの出来事を紹介する。
――シャックと築いた黄金時代
ブライアントはセンターのシャキール・オニール(Shaquille O’Neal)とともにレイカーズの黄金時代を築き上げ、NBAファイナル3連覇を成し遂げた。
2000年にレイカーズは、インディアナ・ペイサーズ(Indiana Pacers)とのファイナルを制し、1988年以来のタイトルを獲得すると、2001年はフィラデルフィア・セブンティシクサーズ(Philadelphia 76ers)を破り、2002年にはニュージャージー・ネッツ(New Jersey Nets)をスイープで退けた。
当時23歳だったブライアントは、これでNBAファイナル3連覇を達成した史上最年少選手になった。
――1試合81得点
トロント・ラプターズ(Toronto Raptors)戦に出場したブライアントは、この試合で自己最多の81得点を記録した。
これは球団史上最高記録となり、NBAでは1962年にウィルト・チェンバレン(Wilt Chamberlain)が達成した1試合100得点に次ぐ史上2位の記録となっている。
――北京五輪とロンドン五輪
ブライアントは2008年の北京五輪と2012年のロンドン五輪に出場し、2004年のアテネ五輪で銅メダルに終わったバスケットボール米国代表を、2大会連続で金メダルに導いた。
大きな注目を集めた北京では、レブロン・ジェームズ(LeBron James)を筆頭とするスター選手とともに米国代表の威信と誇りを取り戻すと、続くロンドン五輪では連覇を果たした。
――ファイナル2連覇で自身5度目の栄冠
ブライアントは2009年、NBAファイナルでオーランド・マジック(Orlando Magic)を破り、自身4度目の栄冠に輝いた。
そして続く2010年には、ボストン・セルティックス(Boston Celtics)とのシリーズ最終第7戦までもつれた激闘を制し、通算5度目のファイナル制覇を成し遂げた。
――現役最後の試合で60得点
2016年4月13日、ユタ・ジャズ(Utah Jazz)と対戦した現役最後の試合でシーズンハイの60得点を記録し、チームを勝利に導いた。
37歳と234日での1試合60得点は、NBA史上最年長記録となった。(c)AFP